帰雲城に関する意見紹介

ここでは、本会(帰雲城調査会)会員の意見や、皆さんからの意見を紹介

したいと思います。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「庄川右岸川原の構造物の謎」

2024年12月に、「右岸川原におかしな地形があります」という情報
がありました。CS立体図で保木脇地区の対岸木谷地区の庄川川原(河原)
に長方形の構造物らしきがあり、結果は最近の河川工事土砂積み上げ地形
でした。(以下、現地調査に同行した内容紹介)

 2020年令和2年6月20日(土)、「右岸川原台地調査」晴れ2
3℃。9:00深山豆富店到着計3名。右岸の川原の台地上に遺構がある
ようなので調査を実施。2名聞取りから川原の護岸工事の台地であること
が判明、遺構ではなかった。(略)

右岸台地と********調査 活動記録日記2020R020622
 時間場所しかメモしてないが、いつものように記録(日記)を残す。

「6月20日 右岸屋ケ平山西山麓 台地調査」
 2020年令和2年6月20日(土)出発、17℃。今日白川村の天気
は晴れ曇り予報だ。荘川町13℃。道の駅飛騨白山6:20到着~8:1
5、16℃、ソーセージパン腹に放り込む。帰雲城趾碑前到着8:20~
9:45、23℃。9:50、深山豆富店前到着。9:56、Yさん到着、
10:00Hさん到着。保木脇O区長へあいさつ、(今日の右岸ダンプ橋
渡る件、この前K建設工場長へ電話してもらいありがとうございました。
右岸調査へダンプ橋通らせていただきますことK建設さんへあいさつ、
行ってきます、と)3人赤車1台にてK建設に10:40到着、事務所へ
あいさつ(お願いいたします)、車でダンプ橋を右岸へ渡り走行できる所
まで南下駐車、10:45、3人南へ歩き開始。気温は25℃くらいか、
風が強く涼しいのでムレる、汗ばむ程度で体力消耗抑えられそうだ。帰雲
谷(名称池ノ谷?か。ここでは帰雲谷と呼ぶことにする)手前で胴長靴に
履き替えて帰雲谷を渡る。水量は多くなく岩の上を点々と歩き渡った。さ
て、HさんYさんは浅い水辺を歩くが、わたしは水を嫌って水辺ぎりぎり
の岸辺石の所を歩く。11:45、HさんのGPSを頼りに台地脇前回調
査時と同じ入口に到着、今度は長靴に履き替えた。11:50~1:00、
台地調査開始。まずは、北台地と南台地の間の溝を確認。次に北台地の丸
い池らしきを確認す。次は、北台地と山裾の間にある土盛り2~3ヶ所を
確認。池らしき北の土盛り確認。そして、北台地上を一周する。今度は、
南台地上を確認。昼食へ台地西に出よう、Hさんハチに刺される、大丈夫
か、「精神的にショックと」。1:00~1:25昼食おにぎり(どうも
ごちそうさまでした)。昼から、南台地歩き南下して山道を見つけ、わた
しは山道上り始めに立つ。Yさんは山道を北に進んで行った(帰雲谷の方
まで行ったらしい)。なお谷まで行こうとなって南下する。なお谷水量は
多く渡ること困難である。「わたし:なお谷の向こう(南)にM山の遺構
らしき大掘切があると言う報告書があります」、「Y:あとで行ってみま
しょう」(時間があるかな?)。調査終了、台地脇荷物置場へ。ところで、
右岸山裾の南北間に通じる道は残念だが簡単に確認することはできなかっ
た。3:10、台地脇荷物置場に戻る、休憩、風が強く涼しく汗だくにな
らずにムレる程度で済んだ。出発歩き北上。4:20、赤車所に来て撤収、
事務所にあいさつ(ありがとうございました)、M山に向かう。M山林道
北に進みすぐ落石あり道塞ぎ駐車4:42、歩き林道北へ。あれー、昼間
右岸台地まで歩くの過酷だったので疲れ切っているはずなのに、この林道
登り急なのに歩いても足取りが軽いぞ、ひょいひょいと歩く、途中マムシ
おった。なお谷と庄川の合流する地点、M山入口に来た。Hさんは足をこ
れ以上痛めてはいけないので林道脇で待機、Yさん、わたし計2名突入。
林道脇斜面を下り大堀切らしき底部に立つ(自然地形か人工地形かは置い
といて)、せっかくなので独立小山に登りましょう、ということでほんの
少しだけ登り、小山に立つ、狭いが平地(削平地?)あり。5:35、車
に戻り、せっかくなので、右岸木谷地区と長瀬地区を見ましょうというこ
とで南へ走行。左手に合掌造り屋根(4層?4階建て相当?)が、「わた
し:画家が一人で住んでいるそうです」車で近寄り、縁側戸が開けっ放し
だ。南下左手に浄楽寺(長瀬地区)あり、南下左手に平瀬鉱山坑口跡あり
5:56。深山豆富店前で今日宿泊荷物積み替え、6:05赤車1台(3
人)で出発高山へ。6:17、白川郷IC合流、時速97キロ走行、清見
IC6:38下車、高山市内へ、6:50~7:15バロースーパー
(ルビットタウン)で夕食朝食飲料調達。7:20~7:47はま寿司で
調達。7:55、ホテル花到着(高山市総和1丁目78番地、運転お疲れ
様でした)。8:13、206号室で3人夕食、ほろよい呑んで丁度いい
気分だ。(ごちそうさまでした)帰雲城資料の綴じてない残りの資料約4
00枚をYさんにお貸しする。(資料総集編872ページとこの約400
枚を合わせると、帰雲城資料の95%が揃う)「H氏談:ぜひ白川村でゲ
ストハウスかえりくもをやってください。帰雲城関係の本を書かないんで
すか」3人交互にシャワー浴び、11:00寝る。Yさん古文書史料見な
がら寝てしまった。

 屋ケ平山西山麓台地は河川工事で盛った台地だった。保木脇O区長さん、
T建設社長さんのお話しから、調査した右岸台地は河川工事で盛った台地
と判明しました。
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー