1-3帰雲城調査会公式HP帰雲城主内嶋氏文献出典紹介

 ここでは、帰雲城と城主内嶋氏に関する史料等文献の出典(ページ数も)を明示して古い年代の方から時
系列で少しずつ追記して時間は要しますが、図書館や施設等でスムーズに同史料を調べやすいよう紹介
します。


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飛騨鑑の内容について(レポート)
                                        2026 07 09 UP 
 序1
 岐阜県大野郡白川村保木脇にあった帰雲(かえりくも)城主内嶋(うちがしま)氏当時(1464~15
86)の中から天正13年1585年8月の出来事で(向)牧戸城の北にある「岩瀬橋の戦いに関する位置に
ついて」研究レポートを2026年5月17日から書き始めて『飛騨鑑(ひだかがみ)』という書物を調べ
読んでいると途中から「んっ!」、「えっ?」っと文面の短い箇所があり不思議に感じたことから、この
『飛騨鑑』はどういう内容の書物なのか、項目とか第何章とか区分の文面はないですが(このレポートでは
第1章から第4章までと任意に分類して説明することにします)調べてみた結果を紹介します。
 序2
 まず飛騨国(ひだのくに)の各村の特徴を記した地誌は①、『飛州志(ひしゅうし)』第8代飛騨国代官
長谷川庄五郎忠崇著.1745年延享2年成立.岐阜県図書館所蔵.②、『飛騨国中案内』上村木曽衛門満義著.
1746年延享3年成立. 岐阜県図書館所蔵.③、『斐太後風土記』富田礼彦著.1873年明治6年成立.
岐阜県図書館所蔵.の3書があります。

1.『飛騨鑑』は何枚で構成されているのか
 まずは、『飛騨鑑』という書物は何枚なのかを調べてみると、背表紙の表(1枚)と、本文(14枚)と、
図(3枚)と、添え書き(1枚)と、背表紙の裏面(1枚)を含めると飛騨鑑は合計20枚で構成されている
書物であることを確認したのである。

 1-1.飛騨鑑の近代の所有者
 飛騨鑑の表紙に「角竹(すみたけ)文庫」、「吉住」(角竹氏と吉住(よしずみ)氏は人名で研究者の間
では有名)とあり、次のページに「高山市郷土館」の印があり、飛騨鑑の近代の所有者を経たルートを垣間
見ることができる。ところで、飛騨鑑の第4章添え書き(補足)でこの書物を誰が持って帰り、どういう
経緯で飛騨に戻ってきたのかを書き添えています。

 2.飛騨鑑の内容を分類して
 まずは、序1でも述べた通り飛騨鑑という書物に項目とか第何章とか区分の文面はないですが、このレポ
ートでは飛騨鑑の内容を把握できるよう第1章から第4章までと任意に分類して説明します。

 2-1.飛騨鑑第1章の内容
 第1章の冒頭は「飛騨国大野郡高山城図並<ならびに>大<大きい>道小<小さい>道覚<おぼえ>」と
書いてあり、高山城から四方(東西南北)の地名や道や距離、高山城内の各曲輪までの距離や他を2枚目と
3枚目で紹介している。3枚目から10枚目までは距離等に関する内容で、つぎに<小道は>高山城から
四方(東西南北)の「各城まで」、近村までの距離、村々間の距離、峠や川渡りの幅、馬次、難所、神社や
他を記している。
 つぎに<大道は>高山城から四方(東西南北)の町や村までの距離や他、国境から近村までの距離を書い
ている。<具体例:9枚目中央に「高山より越中境目迄拾弐里三拾壱町余」と書いてある>
 さて、このように飛騨鑑第1章の内容は、飛騨国(ひだのくに)の中心である高山城内の各曲輪までの
距離や、<金森長近が飛騨を平定して国作りを進めている最中の軍事的要素がまだ強いと思われる>高山
城を中心に四方(東西南北)の地名や「各城」、大きい道や小さい道、町や村々間の距離や峠や川渡りの
幅、馬次、難所、神社や他を記し、そして高山城を中心に四方(東西南北)の国境から近村までの距離、
国境までの距離を記しているのが飛騨鑑の第1章(2枚目から10枚目まで)である。

 2-2.飛騨鑑第2章の内容
 飛騨鑑の第2章は、「国産(1枚)と地図(3枚)」に区分して、国産(10枚目に数行)は下記。
 「<飛騨>国産、金、銀、銅、鉛、鉄。諸材木。蝋<ろう>、漆<うるし>、糸、綿、布、紙、焔硝
<塩硝>」と書いてある。飛騨の国産は産出した村や場所を示しておらず、たったこれだけ5行しか書いて
おらす「んっ!」、「えっ?」っと文面の短ことからこれは何とも不思議に感じたのであった。<書きかけ
途中なのか?>

 2-3.飛騨鑑第3章の内容
 さて、飛騨鑑の第3章の14枚目の文面上部に「芳渕考」とあるが著者か不明である。14枚目から
「古老曰<言わ>く」で始まり天正10年の出来事からを書いている。つぎに<天正13年1585年8月
羽柴秀吉の命による>越前大野城主金森長近率いる軍による飛騨国攻めのことが書いてある。(中略)16
枚目に越中に出陣していた帰雲城主内嶋兵庫守氏理(うじまさ)らは飛騨に戻り金森軍へ降参するシーン。
 17枚目は天正地震により帰雲城が埋まり内嶋氏一族断絶の文面。帰雲城の支城荻町城主山下大和守氏勝
生き残りを記している。17枚目では「某古老物語故<ゆえ>」←この次の文面を現代語にしたのが→
「用事があり帰雲城の埋まった現場で老人に尋ねると言葉少なかったそうだ」と17枚目は記している。
 18枚目は、両面宿儺(りょうめんすくな)の記述で、末尾は添え書き補足(この飛騨鑑の行方や経緯)
があり、飛騨鑑の第3章は飛騨国に関する戦や、古老の話し、昔話し、伝説、出来事を14枚目から18
枚目まで5枚に渡り書き留めている。

 2-4.飛騨鑑第4章の内容
 飛騨鑑の第4章は18枚目末尾からで、いわゆる「添え書き(補足、この飛騨鑑の行方や経緯)」を記して
おり、19枚目の4行目から筆跡が異なる。19枚目の5行目から通釈すると「この書はその時その時に
見聞きした間々を書き留めたものであり、伝説の誤りも少なからずある。しかしながら、取り用いるべき
所も間々あるので、塾生に書き写させ温故知新の役に立てんとしたものだ」と記している。飛騨鑑の第4章
には飛騨鑑1冊が土佐に渡り、再び飛騨に戻ってきた経緯が18枚目末尾から19枚目の計2枚に書いてある。

 2-5.飛騨鑑は完成していたのか
 第1章の内容は、飛騨国(ひだのくに)の中心である高山城内の各曲輪までの距離や、高山城を中心に四方
の「各城」、町、村、国境までの距離、峠や川渡りの幅、馬次、難所、神社や他を記しており<飛騨の各村々
を詳細に調べた地誌ではないが>方位や距離は基本的に揃っていると言えよう。

 つぎに、第2章の内容は「<飛騨>国産、金、銀、銅、鉛、鉄。諸材木。蝋<ろう>、漆<うるし>、糸、
綿、布、紙、焔硝<塩硝>」と、書いてあるだけで、各村の特産を示していないことから第2章は書きかけ
途中であるとわたしは判断したのである。図は、山城を中心に近村の古地図で山や地名、橋、池、川、神社
を記した古地図と、「高山」を起点に真上(上空)から見た古地図で、東西南北(四方)の国境と道、川を
記している。

 第3章は飛騨国に関する戦や、古老の話し、昔話し、伝説、出来事を書き留めている事件や「出来事」を
一部箇所真偽は別として明確に第3章で分離して紹介しているのは(地誌でも戦や昔話、出来事の記述が
あることから)特に問題はないであろう。

 そして第4章はいわゆる「添え書き(補足、この飛騨鑑の行方や経緯)」を記しており、この『飛騨鑑』
の著者は不明で某氏が執筆し、金森氏に仕えていた者が土佐の山内候に仕えることになり『飛騨鑑』を16
92年(元禄5年)頃に土佐(高知県)へ持って帰った。その後、土佐の家臣の家から出た『飛騨鑑』を
1810年(文化7年)より以前に安国寺(岐阜県高山市国府町西門前)和尚(はもと土佐の士族の子で)
へ渡って飛騨に里帰りしたのである。飛騨に里帰りした『飛騨鑑』を安国寺の和尚はこの書物を伝え残す
ために『飛騨鑑』写本を1810年(文化7年)頃に作り、高山市の某氏或いは(吉住氏?よしずみ)
地役人に渡り、『飛騨鑑』写本を借りて1813年(文化10年)頃、塾生に筆写させ添え書き(第4章を
加筆)をして『飛騨鑑』再写本ができる。その後、『飛騨鑑』再写本は角竹(すみたけ)氏や幾人かの所有を
経て1936年(昭和11年)以後に高山市郷土館(ひだ高山まちの博物館)に寄贈されたという経緯である。
 ところで、『飛騨鑑』の第3章の飛騨国に関する戦や、古老の話し、昔話し、伝説、出来事は、その時に
見聞きした間々を書き留めたものであり、一部伝説的な書き方も読み取れるのである。

 2-6.飛騨鑑は完成しているのか結論
 ここで、『飛騨鑑』は金森長近が飛騨を平定してから取り掛かった飛騨国の事をまず最初に軍事的な戦の
観点から書き始めた書物のようにわたしは読み取ったのである。『飛騨鑑』の著者は、のちの飛騨国(ひだ
のくに)の各村の特徴を記した地誌『飛騨国中案内』(上村木曽衛門満義著)のような書物に仕上げたかった
のかは不明だが、第2章の「<飛騨>国産」の記述の少なないことから『飛騨鑑』という書物は背表紙を
含めた計20枚というものすごい少ない枚数から書きかけ途中の未完成であるとわたしは判断したのである。

 3.まとめ
 『飛騨鑑』という書物はどのような内容なのか、まとめ。
 第1章では、飛騨国(ひだのくに)の中心である高山城内の各曲輪までの距離や、高山城を中心に四方の
「各城」、町、村、国境までの距離、峠や川渡りの幅、馬次、難所、神社や他を記している。
 第2章は「<飛騨>国産、金、銀、銅、鉛、鉄。諸材木。蝋<ろう>、漆<うるし>、糸、綿、布、紙、
焔硝<塩硝>」と、書いているに留めている。図は、山城を中心に近村の古地図で山や地名、橋、池、川、
神社を記した古地図と、「高山」を起点に真上(上空)から見た古地図で、東西南北(四方)の国境と道、
川を記している。
 第3章は飛騨国に関する戦や、古老の話し、昔話し、伝説、出来事を(一部箇所真偽は別にして)書き
留めている。
 第4章はいわゆる「添え書き(補足、この飛騨鑑の行方や経緯)」を記している。

 4.あとがき
 ところで、第3章の「古老曰<言わ>く」で始まる古老の話しや、昔話し、伝説、(一部箇所真偽は別に
して)出来事から、「①内嶋氏理らが金森軍へ降参するシーン」、「②天正地震により帰雲城が埋まる
文面」を読み解いて、なぞ解きをすると興味深い(おもしろい)であろう。


 参考文献
 『飛騨鑑』(著者不明.年不詳.写本)飛騨高山まちの博物館所蔵.(旧高山市郷土館所蔵)
 『飛騨鑑』(著者不明.年不詳.写本.岐阜県図書館所蔵.G/261/ヒ/A.古文書.くずし字)
飛騨鑑は1632~1650年頃寛永9~慶安3年頃の執筆と思われる.
 『飛州志』第8代飛騨国代官長谷川庄五郎忠崇著.1745年延享2年成立.岐阜県図書館所蔵.
 『飛騨国中案内』上村木曽衛門満義著.1746年延享3年成立. 岐阜県図書館所蔵.
 『斐太後風土記』富田礼彦著.1873年明治6年成立.岐阜県図書館所蔵.

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