1-1帰雲城調査会公式HP内表記について

 帰雲城調査会公式HP内の各表記についてまず最初にお伝えします。

 年号や数字に関して
 天正十三年、五百人余などの元号や数字に関してここでは洋数字(天正13年、500人余り)にして
いるヶ所があります。文章中の< >内に関してこちらが補足、説明をしている個所もあります。

 氏名等の掲載に関して
 本会公式HP内で取り上げる本会会員氏名や関係者氏名、聞き取り調査した方の氏名や関連する氏名等
(例;岐阜一郎さん)について、個人情報の観点からここでは、苗字のみ(例;岐阜さん)、イニシャル
(例;G・Iさん)、名の方をイニシャル(例;岐阜・Iさん)にして紹介しているヶ所もありますことを
ご理解ください。

 現地調査の範囲について
 白川村保木脇地区の範囲について、弓ケ洞谷という谷から荒谷という谷の南方までが保木脇地区の範囲に
なりますが、地震を含む自然災害により保木脇に到達した土石の範囲は凡そシッタカ谷から弓ケ洞谷の範囲
になることから、本会の(保木脇)現地調査ではシッタカ谷から弓ケ洞谷までの範囲を(保木脇)「現地
調査」と呼んでいます。

 現地調査申請
 保木脇で知らない人が勝手に山に入り何かやっていて「不安で地元の方から迷惑で困った」という話を
聞いたことがあるので、本会で現地調査する際は、私有地を通ることから地元自治体(白川村教育
委員会)や保木脇区長に本会は何を調査するのか目的を記した申請をしてから現地調査を実施しています。

 現地調査注意事項
 本会の現地調査では、私有地公有地に関係なく①岩を移動させない、②木や枝を伐らない、③地面を
掘らないの現状維持の間々の地形観察、目視調査を実施しております。

 地図について
 まずは白川郷(白川村保木脇)を手書きした何枚もの古地図(古絵図)に関して、山々を輪郭で記して
いる絵図なので、保木脇の山の正確な位置に関して(イラスト図みたいで)知るのは無理があるようです。
 さて、正確な地図(地形図)についてですが、ここでは『岐阜県関係正式五万分一地形図』(大日本
帝国陸軍省参謀本部陸地測量部・明治24年<1891年>測図~大正元年<1912年>測図)岐阜県
郷土資料研究協議会.岐阜県古地図文化研究会.平成17年<2005年>1月復刻(会員配布用).58枚
程度が収納してあり読み解くと現在の道ではなく古い道も記していることから約500年前の帰雲城主内嶋
氏当時の周辺の道を知る手掛かりになることからこの地図をここでは「岐阜県関係正式5万分の1地形図」
の保木脇と呼んで紹介することにします。この地図の保木脇を記した正式名は「白川村33(明治43年
<1910年>測圖大正2年<1913年>製版)」で、牧戸や中野村を記した正式名は「白山(明治43
年<1910年>)」です。「岐阜県図書館2階には、岐阜県の古地図、地図が多く所蔵されている」こと
で有名なので白川村の古地図、地図も数枚あります。