5-1帰雲城調査会公式HP収集した資料等について
ここでは、帰雲城主内嶋氏とこれに関する資料等について、帰雲城調査会の会員から頂いた資料のコピーや、
本会で収集した帰雲城に関する複写資料等、聞取り調査証言情報、活動記録、資料情報記録のデータ化、書籍、
ほか、資料等の簡単な内訳を紹介します。
帰雲城に関するほぼ全ての情報や資料等が集まったわけですが、帰雲城の「全部の資料が集まったわけでは
ない」ので、資料の一部集め忘れもあります。
(2026 08 11 UP)
「1、帰雲城に関する複写資料等」→史料、資料、古地図(絵図)、地図、家系図(系図)、空中(航空)
写真、位置情報(『白川郷の地名呼び名図』)、地形情報(3D、CS立体図)、書籍、その他資料を、本会で
複写(コピー)したのは約1500枚収集しました。
「史料(のコピー)」
書状12通、証書2通、手紙1通、起請文3通。古文書。文献→『飛騨鑑』(総集編№6~)・「幽討余録」
(総集編№10)・「飛騨国治乱記」(総集編№11)・『石山本願寺日記』(総集編№18~)・『飛州志』
p179(総集編№66~)・『岷江記』p49(総集編№68)・『斐太後風土記巻之九』p265(総集
編№71~)・『飛騨國中案内』p81(総集編№84~)・『白川年代記』p21「荘川村史下巻」に所収
(総集編№91~)。
「資料(のコピー)」
文献→「飛騨遺乗合府(全)」(総集編№13)・「白川奇談」p26「飛騨史壇」7巻12月号(総集
編№104~)・「金森長近年譜」p111(総集編№111)・「高山別院史史料編」p94(総集編№
126)・「飛騨編年史要」p120(総集編№140~)・「飛騨史考中世編」p328(総集編№165
~)・「濃飛両国通史下巻」p14(総集編№174)・「飛騨山川p421(総集編№176)・「飛騨人物
事典」P35(総集編№178~)・『天正大地震誌』p50(総集編№182~)・「郷土荘川」p124
(総集編№188)・「岐阜史学」第97号p55(総集編№198)・『新編白川村史下巻』p142(総集
編№201)・『白鳥町史』p76(総集編№206~)・『高鷲村史』p112(総集編№210~)・
『神岡町史特集編』p200飛騨略記全(総集編№214)・「ひだ地学」61号1999年4月10日発行.
「安政5年の角川地震の被害と断層について」(総集編№230~)・「保木脇白山神社」資料(総集編№
244~)・『辛夷』(総集編№250~)・『清見村誌・下』(総集編№276)・「松古孝三蔵書一覧表」
<いわゆる松古資料目録>・『明治時代に作成された点の記』「(30)皈雲山 測站」<1897m>(総集
編№750)・「五箇山総合調査報告書」(総集編№758)。
「新聞記事(のコピー)」→75タイトル(総集編№522~)、
「刊行物(のコピー)」→13タイトル以上あり、掲載物、
「学術論文(のコピー)」17部数、
「学術資料(のコピー)」→保木脇地形「読図結果概要図」書名未確認.(総集編№588)・
「報告書等(のコピー)」→15作品と、「城」第116号p7~(総集編№294)。「ミステリアス
白川郷」p32(総集編№307)・「立光学舎浄瑠璃史劇帰雲城」資料.講師安達正雄(総集編№362~)
・「帰雲400年・白川フォーラム」資料(総集編№388)・「岐阜県災害史」特集と年表でつづるひだみの
の災害(総集編№396~)・白川郷寺院資料、白川郷社祠資料、フォーラム資料。
「(一部会員所有)古地図絵図(のコピー)」→保木脇5~6枚(資料総集編№420、424)・平瀬
(総集編№428)・「飛騨国絵図」(総集編№450)・「飛騨国総山絵図」(旧高山市郷土館)、平瀬、
保木脇(総集編№434)、木谷(白川村役場蔵)、
「地図(のコピー)」→保木脇組略図<小字図、総集編№445>、
明治13年(1880年)1/20万地図コピー(総集編№469)・
明治18年(1885年)地図コピー(総集編№468)・
大正14年(1925年)1/32万地図岐阜縣全図コピー(総集編№467)・
「岐阜県関係正式5万分の1地形図」コピー「白川村<保木脇>33(明治43年<1910年>測圖大正
2年<1913年>製版)・
昭和28年(1953年)1/5万地図コピー「白川村」・
昭和43年(1968年)1/5万地図コピー「白川村」・
昭和45年(1970年)1/5万地図コピー「白川村」(総集編№489)・
昭和46年(1971年)1/5万地図コピー「白川村」(岐阜県図書館所蔵)、
5000分の1地図コピー保木脇・荻町・牛首、1/2.5万地図岐阜県<保木脇>、
「(一部会員所有)家系図系図(のコピー)」→山下系譜(山下家蔵)、楠木家系図(市村家蔵)、内ケ嶋氏
理家臣名(正式名未確認、旧高山市郷土館所蔵、総集編№430)、内嶋系図(出典不明、会員から頂いた
系図、総集編№432)、
「(会員所有)空中(航空)写真(のコピー)」→「旧保木脇集落字若林、字乙上ノ平段々上耕地航空写真
1枚」・
御母衣ダム水没前の海上村写真コピー(総集編№472)・
御母衣ダム水没前の5000分の1地図コピー牛丸中野海上尾神秋町御母衣長瀬<御母衣字>上洞(総集編
№474~)・御母衣ダム水没前の5000分の1地図コピー.中畑から平瀬まで。
①、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.USA-M1201-1-13.撮影1948 S23 10 19.コピー.
②、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.USA-M1216-N- 9.撮影1955 S30 10 12.コピー.
③、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.KK616YZ- C1- 5.撮影1961 S36 09 30.コピー.
④、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.CB671YZ- C9-11.撮影1967 S42 10 20.コピー.
⑤、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.CB688Y-C8B-19. 撮影1968 S43 01 11.コピー.
⑥、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.CCB777-C4-11. 撮影1977 S52 10 01.(カラー)コピー.
⑦、国土地理院.空中写真.大野郡白川村.CB681YZ-C10-4. 撮影1968 S43 02 28.(冬、雪地形)コピー.
<資料等をコピーしたのは上記まで>
「資料総集編」→上記約1500枚コピーした一部分を1冊に綴じたのが本会の資料総集編872ページ。
<エピソード談:帰雲城資料等の一部分872枚をA4、A3にコピーした紙の厚さは約9㎝になりファイルに
閉じると3冊になってしまった。→どうしても1冊にしたいことから全てA4サイズにして無理やり1冊に綴じ
て(厚さ約4㎝)3冊作成した。(総集編完成日は2006年平成18年7月完成)その後、本会安達会長より
「お世話になっている白川村に総集編を寄贈しては」ということから、1冊を2009年平成21年月5日、
白川村(谷口村長)へ寄贈した。(2009年平成21年3月11日岐阜新聞記事「帰雲城研究資料を寄贈」
調査会7年の成果、白川村に)つぎにもう1冊は岐阜県図書館に寄贈した。(著作権の都合から論文のみ閲覧
可能)そして、もう1冊は本会で保管している>
-------------------
「位置情報」→ヤマップ(現地調査時順路記録把握用にとても重宝している)、
「地形情報(3D、CS立体図」)→陰影地図、CS立体図(上段現地調査凹凸地形把握に大いに役立って
いる)
「写真」→還来寺写真(総集編№486)・山体崩壊砂山シュミレーション2002年(総集編№496)・
「2、聞き取り調査証言情報」→聞取り調査証言をPCに打ち込み文字(エクセル・ワード)化した。
「3、活動記録」→現地調査や活動記録をPCに打ち込み文字(エクセル・ワード)化した。
位置情報、地形情報(3D、CS立体図)、
「4、資料のデータ化」→資料文献記事の要点を時系列にして文字(エクセル・ワード)化した代表的なのは
下記。
「ひだ白川・帰雲城を考える会 白川郷埋没帰雲城調査会30年のあゆみ」9ページ、
『帰雲城と内嶋氏に関する年表1A 2012年度版』<帰雲城年表>64ページ、
『帰雲城に関する書誌 昭和平成年表 1―D 2013年度版』<帰雲城記事年表>25ページ、
『記録などから察する帰雲城現地調査の実像2013』<記事年表の一部解説付>92ページ、
「年号西暦表」5ページ。
「会発足30周年記念誌」→上記、他を1冊にしたのが本会の会発足30周年記念誌(208ページと、
別紙2枚)非売品を会員へ配布した。
PCに帰雲城資料をデーター化、活動記録のデーター化したファイル数は延べ7800数。<←これは枚数
ページ数ではない>
「歴史資料」→『荘川村史上巻・下巻・続巻』、『新編白川村史上巻・中巻・下巻』、ほか、
「5、書籍」→ 。小説等→
「6、その他」テレビ放送→1999年までに帰雲城に関して8回テレビ放送された。活動をビデオカメラ
撮影記録。(野田会員担当)
<帰雲城に関する資料の一部集め忘れもあります>
----------------------
帰雲城に関する資料等名をつぎは『帰雲城と内嶋氏に関する年表1A 2012年度版』<帰雲城年表>6
4ページの末尾にある「帰雲城に関する参考文献」、「古地図・地図にある地名・山岳名・城跡」をコピー、
貼り付けして紹介します。
帰雲城に関する参考文献
1532年代 天文年間 「證如上人日記」・天文日記『石山本願寺日記』
1632~1650年頃 寛永9~慶安3年頃の執筆と思われる。『飛騨鑑』(岐阜県立図書館所蔵の
写本 G/261/ヒ/A)
1600年代 慶長以降~ 『山下系図』
1619年 元和5年 『飛騨記』『飛騨略記』朝比奈入道定味著.
1669年 寛文9年 『長滝(ちょうりゅう)寺文書』長滝経聞坊文書二.年代記録抄.
1672年 寛文12年 『遠藤家御先祖書』伊藤玄拍.桜井玄登著.
1704年代 ~1711年 宝永年間『三壺記』加越能三国前田家を記した書.
山田四郎右衛門(三壺三衛門)著「三壺聞書」
1717年 享保2年頃 『光曜山岷江記』正覚寺浄明書す.
1736年~ 元文年間 『飛騨国治乱記』作成.
1736年~ 元文年間 『飛州見聞記(抄)』著者不詳.
1737年 元文2年 『飛域太平記(全)』後藤利都著.脱稿.
『飛州軍乱記』 著者不詳 1744年 延享以前から飛騨一国内に流布されていたようである.
1745年 延享2年 『飛州志』 第8代飛騨国代官長谷川庄五郎忠崇著.
1746年 延享3年 『飛騨国中案内』上村木曽衛門満義著.
1746年 延享3年 『飛騨軍乱治国記』上村満義著.
『飛騨国軍乱記(全)』著者不詳 1773年 安永2年 書写. 黒木家所有.
1778年 安永7年頃 『願生寺(がんしょうじ)由来記』願生寺17世顕了編纂.
1827年 文政10年 『飛騨群鑑(全)』(神岡町史特集編)
1831年 天保2年 『白川年代記』三島勘左衛門正英著. 益戸本.
1848年 嘉永元年 『飛騨太平記』上巻 著者不明.
1850年 嘉永3年 7月『白川奇談』森達蔵 白川奇談とあれど書き出しには白川巡行とあり.此書
は白川一色村三島勘左衛門殿所蔵也.二木氏に有之為置也(飛騨史壇)1830~1843年天保年間.三島勘左
衛門正英著.
1852年 嘉永5年 『幽討余録』曽我景章著.
1865年 慶応2年 『幽討余録』曽我景章著.
1873年 明治6年 『斐太後風土記』富田礼彦(いやひこ)著.
1919年 大正8年 『飛騨史壇』 大島利三郎著.
1921年 大正10年 『飛騨編年史要』岡村利平著.
1925年 大正14年 『飛騨国大野郡史』発行 昭和45年復刻発行.
1926年 大正15年 『飛騨山川』岡村利平著者 6月1日改版発行.
1934年 昭和9年 『飛騨の大白川郷』8月発行.
1941年 昭和16年 『飛騨史の研究』12月5日初版発行.
1950年 昭和25年 『飛騨白川郷の風物』初版発行.
1958年 昭和33年 『五箇山総合調査報告書』(附 石動山)富山県教育委員会.3月発行.
1958年 昭和33年 『五箇山誌』高桑敬親著 3月30日発行
1967年 昭和42年 『真眞五箇山史』高桑敬親著 4月再版.
1968年 昭和43年 『白川村史 全』発行.
1972年 昭和47年 『白川郷の伝説と民話』西野機繁著 発行.
1975年 昭和50年 『荘川村史 上巻・下巻』2月8日発行.
1976年 昭和51年 『清見村誌上巻』8月30日発行.
1978年 昭和53年 『辛夷(こぶし)ふるさと回想 水没前の荘川村』田下昭夫著 11月集録完成.
1987年 昭和62年 『天正大地震誌』飯田汲事著 3月31日発行.
1989年 平成元年 『濃飛史研究序説』9月.
1998年 平成10年 『新編白川村史、上巻・中巻・下巻』発行.
2002年 平成14年 『よみがえる湖底の郷7・7』6月 田下昭夫著.
2003年 平成15年 『往昔』7月 田下昭夫著.
『貝塚天満御移位之記・東本願寺家宇野主水記」
『飛騨略記(全)』(神岡町史特集編)
『高山別院史・上・下・史料編』
『飛騨遺乗合府(全)』
『濃飛両国通史・下巻』
『史籍集覧』
『飛騨史考・中世編』
『飛騨人物事典』高山市民時報社.
『郷土荘川』
『高鷲村史』
『白鳥町史・上』
『郡上八幡町史・上・下』
―――――――――――――――――――――――――――――
古地図・地図にある地名・山岳名・城跡
年不詳 『大野郡山絵図』後写 色彩 庄川西左岸「歸雲山」山名「帰雲川原」名あり。
庄川東右岸に「帰雲穴」名あり.
1717年 享保2年 『享保年度山林繪図面』庄川東右岸大字「歸雲 」名あり。庄川西左岸大字「帰雲
山」、孫字「帰雲川原」名あり(大野郡白川村役場蔵?)
1830年 天保年間 『天保年中山林図面』色彩 庄川西左岸「帰雲山」山名あり.
1830年 天保年間 『保木脇村山絵図』色彩 庄川西左岸「歸雲山」山名あり.
1832年 天保3年 『天保度山地繪図面冩』 庄川西左岸「帰り雲山」山名あり(白川村役場蔵?)
1832年 天保3年 『飛騨国絵図』色彩 中州美郷 庄川西左岸「内藤城趾 カヘリ雲川」名あり。
庄川東右岸「カヘリ雲」名あり(岐阜県立図書館所蔵)
1868~1871年 明治元年~4年『飛騨国絵図』高山県時代 色彩 庄川西左岸「皈雲城跡」名あ
り(高山市郷土館蔵 角竹郷土史料2-58地図2)
1868~1871年 明治元年~4年『飛騨国絵図 全』木版刷彩 庄川西左岸「皈雲城跡」名あり.
(岐阜県立図書館所所蔵)
1868年 明治年間 『保木脇村山絵図』色彩 庄川西左岸「帰雲山」山名あり.
1868年 明治年間 『飛騨国総山絵図』明治時代 色彩 高山市郷土館 庄川西左岸「帰り雲山」山名
あり.
1868年 明治年間 『官許飛騨国全図』庄川西左岸「皈雲山」山名あり(岐阜県立図書館所蔵296.38
マ)
『白山山脈連属之図』庄川西左岸「帰雲」名あり.
1880年 明治13年 『岐阜県管内地図』庄川西左岸「皈雲山」山名絵図あり(岐阜県立図書館所蔵
290.38ギケ)
1885年 明治18年 『飛騨国明細全図』 庄川西左岸「皈雲山」山名絵図あり(岐阜県立図書館所蔵
296.38シ)
1913年 明治43年 1/5万地図「白川村」庄川西左岸 三角点1897.3mあり.
1925年 大正14年 1/32万「岐阜県全図」庄川西左岸「魄靈山」絵図あり(岐阜県立図書館所蔵290.
38ギケ)
1957年 昭和32年頃 測図5000分の一地図『新渕・中畑・牧戸・牛丸・岩瀬・落部・赤谷・秋町・
長瀬・下滝・中野・海上・尾上郷・尾神・福島・牧・御母衣・平瀬』
1968年 昭和43年 1/5万地図「白川村」庄川東右岸「帰雲山」名あり.
1970年 昭和45年 1/5万地図「白川村」庄川東右岸「帰雲山1622」mあり.
1971年 昭和46年10月発行1/5万地図「白川村」庄川東右岸「帰雲山1622」mあり.
1990年 平成2年調製 建設省国土地理院(庄川西左岸)三等三角点 皈雲山 標高1897.33m.
「番号 11 種別 三等三角点 基準点名 皈雲山 基準点コード 5436-26-3901 座標系 07
系緯度 36°11′34″ 経度 136°51′45″ 標高 1897.33m 真北方向角 0°10′
46″ 1/5万図名 白川村 行政コード 21604」『成果表』建設省国土地理院地方測量部 平成2(1990)年
07月11日調製.
「番號 良第三拾號 所在 岐阜県飛騨國大野郡白川村大字保木脇字弓ケ洞 地目 山林二百六十五番 順路
白川村大字平瀬ヨリ白川ニ深ヒ一里・・・(略)」『明治時代に作成された点の記』「(30)皈雲山 測站」
国土地理院地方測量部.
――――――――――――――――――――――――――
「活動記録の保管」→帰雲城に関する資料調べや、現地調査、聞取り調査証言、本会行事等(総会、会合、
会議、勉強会、研究発表会、講演会、宿泊、合宿)の活動はメモし封筒に入れ、その封筒合計は延べ500封筒
数以上あり活動記録(一部文字化したのもある)として保管している。
「資料収集場所」→各図書館(岐阜県図書館、郡上市図書館、高鷲町図書館、ほか図書館)、飛騨高山まちの
博物館、高山市公文書館の施設等で帰雲城とこれに関する資料等を収集した。
「白川郷訪問回数」→帰雲城に関する現地調査、聞き取りの他に役員としての運営面訪問もあり、白川郷には
延べ100回以上訪問しています。<これは、帰雲城は趣味の調査であり旅行がてらの訪問の近場であっても
現地でのんびり過ごして泊まりたいということから、必ず宿泊してリフレッシュしていました。近年はしらみず
の湯温泉(白川村平瀬)に夕方PM5:00頃入り、露天風呂からまだ青空の下帰雲山1622m中腹崩落面を
見てロマンを感じ、温泉食事処で夕食(鶏ちゃん定食)して、星空を眺めて車中泊をすることも楽しんでいま
す>
-----------------------
下記、保木脇上段の変移について以前書いたのがあったのでUPします。
-----------------------
国土地理院ホームページ 空中写真 保木脇
2019年令和元年5月5日
ここでは、パソコンを使ったインターネット上の「国土地理院ホームページ」内にある「地図・空中写真
閲覧サービス」から何枚かある大野郡白川村(保木脇)の空中(航空)写真を紹介する。(国土地理院ホーム
ページから保木脇の空中写真を見る順序は、①国土地理院ホームページ→②地図・空中写真・地理調査→
③「地図・空中写真閲覧サービス」の順序で大野郡白川村(保木脇)の空中写真を見ることができる)
(パソコンの共有フォルダに空中写真のデータを格納し、内部のシステム上で地形等を閲覧します)
1- 各図の基本情報
整理番号 コース番号 写真番号 撮影年月日
1図 USA M1201-1 13 1948年昭和23年10月19日
2図 USA M1216-N 9 1955年昭和30年10月12日
3図 KK616YZ C1 5 1961年昭和36年9月30日
4図 CB671YZ C9 11 1967年昭和42年10月20日
5図 CB688Y C8B 19 1968年昭和43年11月1日
6図 CCB777 C4 11 1977年昭和52年10月1日
7図 CB681YZ C10 4 1968年昭和43年2月28日(冬、雪地形)
2- 各図内の情報
(各図内の情報について、拡大して見たものの不明なものについては?を付けてある)
1図 2図 3図 4図 5図 6図
S23 S30 S36 S42 S43 S52
1、(分教場)耕地 ;あり、 あり、 整地、 なし、 なし、 なし
2、シツタカ谷北家;あり3、 3、 なし、 なし、 なし、 なし
3、シツタカ谷砂防堤 ;なし、 なし、 なし、 なし、 なし、 あり
4、耕地上道 ;なし細?、 細?、 細?、 中幅、 中幅、 幅広
5、耕地面 ;41面、 41面、 18面、 14面、 14面、 14面
6、シツタカ谷南U家 ;不明?、 不明?、 なし?、 なし、 なし、 なし
7、鉄塔 ;なし、 あり、 あり、 あり、 あり、 あり
8、山道 ;あり細、 あり細、 幅広、 幅広、 幅広、 幅広
9、田口プラント辺り ;森、 森、 削平地、 削平地、 削平地、 削平?
10、三角道 ;なし、 なし、 あり幅広、 幅広、 幅広、 幅広
11、現白山神社 ;なし、 なし、 あり、 あり、 あり、 あり
12、I一軒家 ;あり?、 あり?、 現場所へ、 現場所、 現場所、 現場所
13、現O家場所 ;雑木林、 雑木林、 現場所へ、 現場所、 現場所、 現場所
--------------------------
「 記録を取り続けること 記録を後世に残し伝えること 」
--------------------------