2-2帰雲城調査会公式HP報告書等紹介

 ここでは、帰雲城に関して述べられた論文やレポートの報告書等を紹介します。


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 白川郷各城跡遺構簡易計測と比高について<簡易レポート>
                                          2021 R03 05 30

 序
 2018年平成30年10月23日(火)、本会(帰雲城調査会)今井会員ら(佐々木会員、小林会員、
計3名)は帰雲城のあった白川村保木脇上段の調査をした。今井会員はとある小山(高度622m地点)に
立ち、地形を観察すると遺構(堀切)に思える地形を確認したのであった。(便宜上ここでは「622m地点」
と呼ぶ)のちにテレビ愛知はこの622m地点を学識者と調査して城跡であるという結果であった。
 2021年令和3年4月3日(土)、わたし(野田会員)はCS立体図を見ながら保木脇の上段を調査し
(ここでは618地点と呼ぶ)まず、風雨による自然地形か人工地形か観察する。自然地形でないことを
前例で比較しながら城跡とみられる堀切と土塁を発見、確認した。この「618m地点」は城跡であると
思われる結果であった。
 この618m地点は城跡なのかを確かめるために、測量して縄張り図を作成したいがわたしにはそのような
専門技量はない。かといって遺構があるからと説明しても今一つ根拠に乏しい、どうするか・・・。根拠の
1つを形にしなければと考える。「んっ!」遺構をメジャースケールで大雑把だが簡易計測して数値という形に
して各城跡遺構寸法を比較できる形(数値)であればわたしにも出来ると思ったので、白川郷にある各城跡
遺構(堀等)の寸法を凡そではあるがかなり大雑把に簡易計測して比較することにした。

 1.はじめに
 岐阜県大野郡白川村保木脇の「618m地点」に城跡遺構と思われる地形のあることから白川郷にある
各城跡遺構(堀等)をかなり大雑把な凡そ寸法ではあるが簡易計測して記し、比高を記しておく。

 2.白川郷の城跡遺構凡そ寸法と比高

  白川村
 1「小白川砦跡」(白川村小白川)2021年5月29日、遺構簡易計測実施、
 標高478m、国道約358m、比高約120m、尾根上の堀切、幅約6m深さ約1.2m、

 2「芋井谷城跡」(白川村牛首)場所不明、

 3「荻町城址」(白川村荻町字城山)2021年5月22日、遺構簡易計測実施、
 約537m、国道約485m、比高約52m、空堀幅約11m、深さ約2m、土塁幅約7m、高さ約2m、

 4「帰雲城跡」(白川村保木脇)場所不明、

「618m地点」(白川村保木脇字帰雲川原)2021年4月3日、2021年5月15日遺構簡易計測実施、
 標高約618m、国道約590m、比高約28m、(西)堀切?幅約9m、深さ約90cm、土塁?幅約
7m、高さ約2m、(東)堀切?幅約9m、深さ約90cm、(618m地点は城跡遺構かまだ不明である)

 「622m地点」(白川村保木脇字帰雲川原)2018年10月23日、2021年5月15日遺構簡易計測実施、
 標高約622m、国道約587m、比高約35m、(西)堀切幅約9m、深さ約80cm、(東)堀切幅約
7m、深さ約80cm、

  5「福島城郭跡」(白川村福島)場所不明、
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 高山市荘川町
 6「日崎城跡」(荘川町海上字ヒサキ)標高約715m、

 7「赤谷城跡」(荘川町赤谷)2010年10月25日遺構調査、
 標高934m、庄川水面約685m、比高約249m、

 8「牧戸城址」(荘川町牧戸字寺ヶ洞)標
 高830m、国道約774m、比高約56m、

 9「向牧戸城址」(荘川町牧戸)2021年5月22日、遺構簡易計測実施、
 標高802m、国道約768m、比高約34m、(向牧戸城国道156号線南尾根上の堀切をここでは第2
堀切と呼び簡易計測した)尾根上の第2堀切幅約6m、深さ約2.1m、土塁幅約2.5m、高さ約40cm、
第2堀切北に人の手の加わった人工削平地(平地)あり、

 10「新渕城跡」(荘川町新渕)2021年5月29日、遺構簡易計測実施、 
 標高970m、国道約807m、比高約163m、尾根上の堀切幅約6m(9m)、深さ約1.2m
(1.7m)、堀切西方向に人の手の加わった人工削平地(平地)あり、

 11「六厩砦」(荘川町六厩)未確認、(岐阜県教育委員会報告書あり岐阜県図書館所蔵)

 3.堀等幅深さ比較
  
                  比高            堀切幅          堀切深さ
  1「小白川砦跡」             約120m、           幅約6m、          約1.2m、
  3「荻町城址」                  約52m、       空堀幅約11m、          約2m、
  「618m地点」              約28m、                  約9m、                  約90cm、
  「622m地点(西)」      約35m、                             約9m、                  約80cm、
  「622m地点(東)」      約35m、                                   約7m、                   約80cm、
  9「向牧戸城址」               約34m、            第2堀切幅約6m、                       約2.1m、
 10「新渕城跡」          約163m、                 約6m(9m)、  約1.2m(1.7m)、

 4.堀等簡易計測断面図 
 下記に各堀等を簡易計測した凡そ寸法の断面図を記す。(写真と遺構断面図の計6枚は省略)

 5.遺構簡易計測結果
 白川郷の6ヶ所の城跡遺構簡易計測結果から結論を示すのではなく、課題を記しておく。
 1、比高から察するとどの時代の山城遺構か?
 2、堀等深さの比較?
 3、その他、尾根上削平地(平地)の意味は?

 6.おわりに
 保木脇618m地点は城跡か。せめて白川郷の各城跡遺構、堀等の簡易計測を実施してデーター(情報)を
開示した次第で、ぜひこのデーターから研究をと願うばかりである。堀等の大雑把な簡易計測は正確な寸法で
はないし、比高も凡その数値であることを断っておく。

 7.あとがき
 白川郷には、11ヶ所の城等があったようで、「福島城郭跡」は文献に記述があり、「日崎城跡」も記述が
ある。「六厩砦」は、岐阜県教育委員会の調査した城館(何々)報告書に記載されているのであった。
 簡易計測を実施した各城跡等は、室町時代の遺構か。風雨による経年変化で遺構は現在どういう寸法になって
いるのか一定の規則性があるようだ。現地での調査は、草木の茂る前に地形(地面)確認のしやすい4月に
調査しておくのが最適なのである。
 5月になり、現地の雑草は伸び地形を確認するには少し困難ではあるが、それでも5月中には調査を済ませて
おこうと今度は2021年5月15日(土)、保木脇618m地点と622m地点の簡易計測を行った。しか
し、この場所のみの遺構寸法では他城跡遺構寸法と比較するデーター(情報)のないことから、翌週5月22日
(土)、帰雲城の出城(支城)である向牧戸城址と荻町城址の遺構簡易計測を行った。これで、堀等(堀切、
空堀)や土塁の寸法比較ができる。小白川砦跡と新渕城跡の遺構簡易計測は来年(2022)にしよう。しかし、
結局がまんできず天候と気温とにらめっこし、またもや翌週5月29日(土)、小白川砦跡と新渕城跡の遺構
簡易計測を実施したのであった。当日、小白川砦跡の遺構簡易計測を済まし新渕城跡に向かっている最中、
PM2:31荘川町岩瀬(地区)の岩瀬橋南で、ああー今テレビ愛知の「消えた戦国の城白川郷の秘めごと」
第2弾のTV放送が始まった時間だなー、と思った。それから新渕城跡の遺構簡易計測を済ましまたもや車中
泊。5月は仕事残業続きで疲れているにも関わらず現地調査を全て終えるんだという執念が勝り、毎週白川郷
に滞在してかなり無理をし過ぎたのである。それでも、現地調査登山、森林浴、リフレッシュを兼ねている
活動は休息充電できるのであった。
 各城跡簡易計測場所(山城跡)は何回も登っていたことから気軽に向かい、そして今回からCS立体図を
用いて正確な登山ルートは判明していたので水分1本、メモ紙、ペン、メジャスケール、方位系の超軽装で
簡易計測調査は本当短時間で実施できたのであった。

 参考文献、使用資料(ソフト)
 『戦国砦の遺構について』宇田**「飛騨春秋」5月号平成17年(2005)<牧戸城>
 『飛騨の未確認城館について』佐伯** 郷土研究・岐阜第102号 平成18年(2006)3月30日<牧戸城>
 『小白川砦跡の紹介―未確認城館の報告―』佐伯** 岐阜県郷土資料研究協議会発行第107号 平成19年
(2007)10月30日.
 5000分1地図海上 昭和32年(1957)測図.
 5000分1地図赤谷 昭和32年(1957)測図.
 「カシミール3D」国土地理院発行25000数値地図.
 『カシミール3D入門編』2013年1月30日初版ISBN978-4-408-00830(2400円+税)

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