右岸風穴調査2004H160429

ここでは、2004年平成16年4月29日に右岸大牧地区の風穴のある場所を調査した記録を紹介します。



1「右岸大牧イラスト図」
右岸大牧地区にある風穴一帯を調査した場所は、カニ澤崩れ下から北辺りになります。

 1979(昭和54)年5月5日、「日本の歴史探索会」村上氏率いる23名が右岸台地(風穴のある場所)で城跡ともみられる人工的な石積みを発見し、大小無数の岩石があり、石積みや庭園跡を思わせる大石などが随所にあったそうである。

 2004(平成16)年4月29日AM10:00、先人が調査した場所を見たいと、右岸大牧地区の風穴一帯を調査しました。現地は右岸河原から数m上の場所にあり、風穴、道、池?のような底に大岩がごろごろ点在しているのが確認できた。池?を渡る石で補強した立派な橋道(幅約1mの渡り道)が妙に気になった。庄川河原沿いに岩を積み上げた盛り壁のような直線もあった。また、比較的なだらから地形に住居跡と思われる場所もあったのである。庭園跡なんだろうか


2「右岸大牧の風穴」
山道の右カーブ下に「風穴」があり、中から冷たい風が外に向かって流れていた。


3「石で補強された道」
風穴の近くに、石で補強された幅約1mぐらいの道があり、溝?か池?(写真右下)の底らしい部分に大岩が点在していた。


4「庄川沿いの岩石」
石で補強された道近くから庄川を見た光景で、右岸河原より数m高い位置に岩石が積み上げて河原に沿ってある。

 さてこの場所は何だったんだろう。ごくごく普通の住居跡ではないのは分かる。城跡でもない。鉱山に使用した場所かは分からない。炭焼き関係で麓にこんな立派な人工物を造るだろうか。きんま道(木馬道)なのか分からない。庭園とするのには池の造りがおかしい。

 後日談:当時、現場を慎重に観察していなかったし、推測できるだけの眼力が当時なかったのであった。現在観察すれば捉えかたも変わるであろう。


5「左岸保木脇53鉄塔を見る」
調査が終り、右岸より保木脇を見た景色で、53鉄塔とその南の標高約640mがキーワードになる。